まち・むら見聞録vol.1 「和栗」の生産と加工で興す村の産業

―人吉球磨地方を訪ねて―

(平成26年10月10日 産直コペルvol.8)
文・柳澤愛由

大粒のやまえ栗
大粒のやまえ栗

 熊本県の東南端に広がる盆地一帯を人吉球磨地方と呼ぶ。この人吉球磨地方で本年9月8・9日、「味わってみらんね!人吉球磨のうまかもんツアー」が開催された。主催は、一般財団法人都市農山漁村交流活性化機構(まちむら交流きこう)。同機構は日本各地の農山漁村を訪れるツアーを随時企画している。地域から発せられる魅力的な農林水産物の産地や豊かなライフスタイルなどを通じ、人とものと情報の交流によって、地域活性の一助となることを目指している。
 今回の主要な訪問先は人吉球磨地方の山江村。村域の約9割を山林が占める山間の村だが、知る人ぞ知る「和栗」の産地だ。通称「やまえ栗」と呼ばれ、大粒でほっくりとした甘みは、料理人や菓子職人に愛用され、その質の高さはプロをもうならせる。「やまえ栗」の魅力と、その生産・加工による村の産業振興を目指す取組みを紹介する。



ブランド和栗の確立とその消失まで


 山間の静かな村である山江村で訪ねた先は、主に二ヵ所。「やまえ栗」を用いた栗ごはんが食べられる農村レストラン「やまえのまんま」と、「やまえ栗」を使った「渋皮煮」や「栗きんとん」などを製造販売する「有限会社やまえ堂」。
農村レストラン「やまえのまんま」
農村レストラン「やまえのまんま」
 その紹介をする前に、「やまえ栗」の歴史を概括しておこう。
 山江村は以前から農業を主体としてきた村だ。しかし、山間部であることから田畑の面積は限られ、以前より小規模零細農家が多数を占めてきた。そんな小さな農家の手によって、「やまえ栗」は、昭和初期から細々とではあれ、継続して栽培されてきた。
 本格的な産地化の動きが進んだのは、昭和30年代後半から。全国各地の山村で、栽培面積の少ない稲作にかわる換金作物の栽培に力が入れられた流れの中で、山江村では、かねてから栽培が行われてきた「和栗」に着目し、その増産によって農業収益をあげることが目指された。
 村は、当時はまだまだ珍しかったブルドーザーを購入し、農業構造改善事業に着手。利用されていない里山の造成を開始した。
 また他県の栗の産地に、村の青年を研修で派遣し、技術の習得を進めた。ハード・ソフトの両面から産地化へ向けて突き進んだのだ。
 九州といえども、山江村は盆地気候で朝夕の寒暖差は大きい。こうした気候条件も功を奏し、甘味のある質の高い和栗が収穫できた。
 また、栗は兼業農家でも比較的に栽培に取り組みやすいこともあり、当時、すでに耕作放棄地が目立ち始めていた同村であっても、将来性が期待できる作物として急速に栽培面積を増やしていった。
 村でも苗木の補助、生産者組織の立ち上げ、造成などで様々な補助を実施し、村をあげての産地化を推進した結果、「やまえ栗」は市場でも高値で取引されるようなブランド栗へと成長した。
 昭和52年、昭和天皇へ「やまえ栗」を献上、さらに知名度を上げていく。昭和61年、出荷量はピークを迎え、410トンもの市場出荷を実現させた。
 ここまでは、山間地の農村の振興策として一つの成功事例に挙げられるものだったとはいえ、ここからは全国の山間地農村と同じ困難に直面する。栗園の造成から数十年が経過し、ピーク時の農家は徐々に高齢化、後継者不足も顕著になった。そして、イノシシやシカなどの鳥獣被害も多発するようになった。高齢化・後継者不足はまだ「自分のせい」と我慢もできるが、人間の力の減退を見透かすかのように広がる鳥獣被害は、高齢化する農家の栽培意欲を一挙に低下させるものだった。 
 こうした様々な要因が重なり、栗の栽培面積、収穫量は下降傾向に陥る。さらに決定的だったのは、同村を管轄する農協が広域合併したことだ。これにより、一地域の名前を冠した名称は使用できなくなり、せっかく育てた「やまえ栗」のブランドが市場から消失してしまった。
 実際に、山江村が経験した和栗の産地形成と現在までの道のりを全て経験してきた人がいる。昭和36年から山江村役場職員として奉職し、現在も現役の「やまえ栗」生産農家である柘本勲さんだ。柘本さんは「やまえ栗」の歴史や魅力、現状の課題を次のように語る。
 柘本さんは昭和38年、村内の共有地に栗を植栽、村民7名で生産を開始した。「七福園」と呼ばれるこの栗園は、「やまえ栗」の始まりの地ともされている。柘本さんは、現在も栗の栽培、選定、指導にあたっており、「やまえ栗」へ情熱を傾け続けている人だ。
 「産地形成を進めて約50年。栗園も人も高齢化してきており、様々な課題はある。しかし、さらに生産量を増やし、多くの人に山江の栗を食べて貰いたい」。柘本さんはそう、思いを語る。


「やまえ栗」の復活へ



やまえ堂代表・中竹隆博さん
やまえ堂代表・中竹隆博さん
 これまでの窮状を乗り越え、「やまえ栗」の復活を目指す動きが具体化したのは、平成10年代に入ってから。村で「栗技術指導員制度」を制定するなど、産地復活への動きが活発になり始めた。
 現在、栗の加工品を製造販売する「やまえ堂」は、当時は「有限会社プログレス」というIC(集積回路)産業に携わる電機部品会社だった。社長・中竹隆博さんは、平成15年頃、知人から「栗をやらないか」と声をかけられたという。
 「当時は電機工場の方も忙しく、すぐには実現しませんでした」と中竹さん。実現はしなかったものの、栗に大いに興味を持つきっかけとなった。
 もともと、中竹さんには農業経験があった。20代前半までは、農家としてタバコの生産に携わっていたのだという。その経験から、「なぜ山江村には質の高い栗があるのに、これで事業を行わないのだろう」と常々疑問に思っていた。
 しかし、当時は電機部品製造業も順調に業績を伸ばし、最盛期には数十人の従業員を抱えるほどの状況で、栗に手を出すことはできなかった。
 「結局、転機になったのは、平成20年、リーマンショックが会社を襲った時です」と中竹さんは、振り返る。


「やまえ栗」の誕生、栗での再出発



タイトルなし
 リーマンショックの影響は大きく、順調だった経営も階段を転がり落ちるように悪化した。仕事が全く入らなくなった。どうにかして従業員の就業の場所を作る必要に迫られた。
 「やまえ栗」の再興にかけよう。「やまえ栗」で会社を再出発させよう。中竹さんは、以前は実現できなかった「栗」の事業についに踏み出すことにした。
 中竹さんは、リーマンショックから間もない平成21年、「やまえ栗」の渋皮煮を持って東京の商談会へ出掛けた。栗の質の高さは誰もが認めるもの。多くの業者から引き合いがあり、「これは売れる!」と確信したという。そして同年4月、工場を閉鎖し、やまえ栗を使った加工品製造を主体とする「有限会社やまえ堂」として再出発を図った。
 しかし、現実は甘くなく、商談会では好評だった渋皮煮も、実際の取引となると、当初は思うように売れなかった。貯金を切り崩し、何とか経営を回した。また、栗の加工品の歩留まりの悪さも経験した。
 「栗だけで事業を行う近隣の業者がうまくいかなかったのには、こうした理由があったのだと痛感しました」。

やまえ堂が誇る渋皮煮
やまえ堂が誇る渋皮煮
 そうした中、渋皮煮の「瓶詰」商品が敬遠されていることに気が付いた。個人用でも、事業用でも、とにかく重いことがネックになっていたのだ。そこで「真空パック」で売り出した所、売上げが一気に向上した。
 栗加工の副産物から生まれた商品もある。渋皮煮を作る際、渋皮に傷がついていると、どうしても弾けてしまうものが出る。その弾けた渋皮煮をペーストにし、生地に練り込んで揚げたものが、「栗んとう」だ。手軽なお土産としても重宝され、ヒット商品となった。
 「本当に、ほんの些細なことで売上げが変わりますよね」と中竹さんは笑う。
改善を繰り返し、ニーズを拾い上げるセンスは、ものづくり企業からの参入だからこそのものかもしれない。


「やまえ栗」のブランドと産地復活への思い


 現在、やまえ堂の渋皮煮は、JR九州の高級列車として、各方面から脚光を浴びている「ななつ星」の最後のデザートとしても採用されている。また、近隣の道の駅やサービスエリアのお土産としても定着し始めた。遠くは東京方面のデパートへも出荷している。徐々に、「やまえ栗」ブランドの復活が実現してきているのだ。
 現在120件程の農家が「やまえ堂」に栗を納入している。その平均年齢は、やはり70代を越えているという。高齢化は進んでいるが、更なる産地復活へ向け、同社では、農地を借り受けたり、栽培の一部の作業を手伝ったりと生産現場と密着しながら事業を進めている。今後は農地を貸したい人と借りたい人の仲介をすることも検討している。
 「やまえ堂」の見学を終えると、「やまえ栗」の生産農家のひとりである、嶽本巻男さんが所有する栗園へ。栗拾い体験をさせて貰えるという。
 木漏れ日がさす栗園では、イガから顔を覗かせた大粒の「やまえ栗」の姿を見ることができた。栗を拾いながら、草刈の大変さや鳥獣被害の現状、台風による被害の経験などの話も聞いた。農家の苦労と努力によって、「やまえ栗」は作られている。
 「まだまだ栗だけで食べていける農家はいません」と中竹さんは課題を口にする。しかし、山江村の栗農家の意識の高さには、中竹さんも自分のことのように胸を張る。

旬を迎え、青井阿蘇神社へ奉納されるやまえ栗
旬を迎え、青井阿蘇神社へ奉納されるやまえ栗
 「やはり天皇へ献上したというプライドがあるのでしょう。収穫後、『いいものが無かったから持ってこなかった』という人もいました。そうした生産者が作った栗を、しっかりとした値段で流通させたい」。そう、思いを語る。 
 この日、山江村の隣の市、人吉市にある国宝「青井阿蘇神社」へ栗の奉納が行われるとのことで、見学をさせて貰うことになった。奉納式にはツアーの参加者、そして山江村長内山慶治さんや、やまえ堂社長の中竹さんを始めとする、山江村関係者らが参加した。参加者全員の名前と共に、祝詞が御神前に奉上され、各グループの代表が玉串を捧げ、厳かな雰囲気の中、今年の収穫とその恵みに感謝を込めて、「やまえ栗」は静かに奉納された。 
 「やまえ栗」にかけた村の人々の思いは確かに引き継がれ、小さな山間の村で新たな歴史を、刻み始めている。




連絡先一覧
●有限会社やまえ堂
〒868-0092 熊本県球磨郡山江村山田丁821
TEL:0966-24-7324

●農村レストラン「やまえのまんま」
〒868-0092 熊本県球磨郡山江村山田甲1415
TEL:0966-35-7000

●国宝・青井阿蘇神社
〒868-0005 熊本県人吉市上青井町118

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