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農園にかかわるすべての人を幸せにしたいー信州のりんご与古美(長野県上伊那郡)

子育て世代の雇用の場としての農業



与古美農園のみなさん。りんごの木の前で
与古美農園のみなさん。りんごの木の前で

 長野県南部に位置する長野県上伊那郡。この地で、りんご農家を営む与古美農園の代表 伊藤剛史さん(37)は、祖父の代から続く農家の後継者だ。りんご園を継いで6年目になる。栽培面積は約6ヘクタール。剛史さんは最新のりんご栽培技術である「高密植栽培」で、就農して5年で父から受け継いだ農地を3倍以上に拡大。産地化を目指し、担い手の育成にも熱心に取り組んでいる。
 さらに注目したいのが、独自の雇用スタイルだ。与古美農園では、農業の特性を生かした自由な労働環境で、農業を地域の「ママ」たちが活躍する雇用の場として可能性を広げている。剛史さんの実践する農業と、そこで働くママたちを取材した。
(文・上島枝三子)
 

農業だからこそできる独自の雇用スタイル



連絡ツールはグループLINE。仕事の内容もこれで共有する
連絡ツールはグループLINE。仕事の内容もこれで共有する

 「子育て×農業」を特集するにあたり、以前から取材をしてみたいと思っていたのが、今回取材に訪れた与古美農園だ。
 与古美農園では現在、剛史さんの家族のほかに、正社員1名とパート労働者9名が働いている。そのパート労働者の全員が保育園〜中学生の子どもを持つ「ママ」たちだ。剛史さんが就農した頃、子育て中の友人に「好きなときに来て、好きなだけ働いていいからりんごのバイトしない?」と、声をかけたのをきっかけに、SNSや知り合いを通じて輪が広がり、一時は40名ほどが登録していたのだとか。 
 与古美農園にはいわゆる「シフト」がなく、「何時に来て何時に帰ってもいい」という労働スタイルが特徴だ。これは、剛史さんがオーストラリアでのワーキングホリデーの際に経験した「フルーツピッキング」のアルバイトに着想を得たのだそうだ。
 「私が自由なのが好きなので、みなさんにもなるべく自由に仕事していただきたいですし、農業は比較的そういうのがうまくあてはまるのかなと思います。畑にお客さんが来るわけではないので、必ずこの時間にいなきゃいけないとかがないですし」
 

機械にカードをかざすと、出退勤時間が記録される
機械にカードをかざすと、出退勤時間が記録される

シフトがない代わりに、その日の仕事の有無や内容、出勤状況の把握はすべてグループLINEで共有しているそうだ。やってほしい仕事、圃場の場所などを伝えれば、ママたちは好きな時間に来て仕事をし、作業の終わり時間も自分で決められる。雨が降れば出勤を遅らせたり、子どもの都合に合わせて帰ることも自由だ。労働時間の管理は、倉庫に置いてある機械にカードをかざし出退勤時間や休憩時間を打刻して記録するという仕組みだ。
 「主婦の方々が、お子さんがいらっしゃるときは自由がきかないんだろうなというのは元々知っていたので、本当は働きたいと思っている方々が、こういうスタイルをとることによって働きやすい環境を作れているのであれば嬉しい。農園で働く人に喜んでもらえることも、一つのやりがい」だと笑顔で話す。
 少子高齢化や農業人口の減少など、農業を取り巻く担い手不足が課題となる中、こうした雇用への取り組みが、ママたちのニーズと合致し、人材確保のみならず地域の子育て支援にもつながっている。

タイトルなし

与古美農園のりんご



代表の伊藤剛史さん
代表の伊藤剛史さん

 剛史さんが家業のりんご園を継いだのは2013年。大学を卒業後、1年間のオーストラリアでのワーキングホリデーを経て、会計事務所に5年ほど勤務。その後、地元伊那市高遠町で祖父の代から続くりんご農園を受け継いだ。
 もともとビジネス思考で起業したいと考えていた剛史さんは、「起業するのは、ラーメン屋でもよかったんですけど(笑)、少子高齢化でりんごの需要に対して供給が足りなくなっていくだろうと思ったので、逆にビジネスチャンスかなと思った」と就農当時の心境を話す。

収穫の時を待つ「あいかの香り」
収穫の時を待つ「あいかの香り」

 栽培する品種は、あいかの香り、しなのリップ、甘い夢、華宝など。中でも、あいかの香りは長野県果樹研究会長賞・ JA農産物品評会で金賞を受賞するなど高く評価されており、特定の地域でしか栽培が難しい「幻のりんご」としても注目を集めている。売り先は、JAや地元直売所、インターネットのほか、ふるさと納税の返礼品、りんごジュースなどの加工品としても販売している。

「あいかの香り」のりんごジュース
「あいかの香り」のりんごジュース

剛史さんは前職の会計事務所勤務の経験から、農業も数値化し、データに基づいた「儲かる農業」で、自身の農園を一つのビジネスモデルとして確立し、より多くの人に広めたいと考えている。それを可能にするのが、生産に特化したりんご栽培技術である「高密植栽培」だ。

高密植栽培で生産量を3倍に



長野県箕輪町の「高密植栽培」の圃場
長野県箕輪町の「高密植栽培」の圃場

 高密植栽培とは、イタリアを中心に世界各地で広まる最新の栽培技術で、文字通りりんごの木の株間を密植させて植える栽培方法だ。普通樹の場合、苗は2〜3メートル間隔で植えるが、高密植栽培では80センチ間隔で植えるのが特徴だ。元々、果樹の栽培指導員も務めていた父の協力もありこの方法で栽培がスタートした。「今までは、木の仕立てを作ってりんごを育てるという感じでしたが、この方法はりんごしか作らないというイメージ。栄養分を全部りんごにやって木を太らせない方法なんです」。実際に圃場を見せてもらうと、等間隔に整然とりんごの木が立ち並び、幹はすらりと細くまっすぐ上に伸びているのが印象的だ。剛史さんによると、枝が茂らない分ほとんど剪定の必要がなく、管理や収穫も楽で、さらに農薬などのコストも少なくてすむのだそうだ。「今までの作り方だと1反(10アール)につき2トンの収穫量でしたが、高密植栽培では6トン収穫できます」。この方法で年々栽培面積を増やし、就農してからの5年間で、父から受け継いだ1・7ヘクタールの農地を6ヘクタールにまで拡大。地元伊那市高遠町のほかに、箕輪町、南箕輪村と市町村を跨いで圃場を拡大している。苗の本数で言えば、1万6500本を栽培し、就農当初の約6倍の売り上げを達成した。 
「年商1億円を目指して、まだまだ農地を拡大する予定です」とさらに意欲をみせる。規模拡大に伴い、地域の人材としてママたちを雇用することで、農業を新たな雇用の場として可能性を広めている。

「もちつもたれつ」



圃場では高所作業車を見事に操りながらママたちが手際よく作業を進めている
圃場では高所作業車を見事に操りながらママたちが手際よく作業を進めている

 では、実際にここで働くママたちはどのように感じているのだろうか? 圃場で摘果作業をする様子を見せていただきながら、話を聞いた。
 小学生2人のお子さんを持つAさんは「時間が自由でありがたい。子どもが小さいうちは本当に助かります」という。ここで働きはじめて5年目のBさんは、「途中、子どもが生まれてお休みさせていただいた期間もありますが、また復帰しました」と話す。時間の自由さに加え、復帰のしやすさも魅力の一つのようだ。他にも「高密植栽培は作業しやすい」との声もあった。
 剛史さんは、「自由さを維持しながら、常に仕事をつくらなければならないという点で難しさもありますが、みなさんのおかげだと思っています。今ではうちも助かっていますし、もちつもたれつですよね」と頼もしい笑顔で教えてくれた。
 作業の効率化や労働環境の整備、生産性の向上のため、高所作業車10台とスピードスプレーヤー6台も導入した。「利益はみなさんに還元したい。必要なことへの投資は惜しみません」

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働き手の意欲を引き出す「成果報酬型」



列ごとに決められた成果報酬型の担当表。担当範囲は「剛ちゃんがルーレットのアプリで決めた」のだそう
列ごとに決められた成果報酬型の担当表。担当範囲は「剛ちゃんがルーレットのアプリで決めた」のだそう

 昨年からは働き手の意欲向上と賃金アップのため、圃場の区画(列)ごとに担当を決め作業をしてもらう「成果報酬型」も取り入れた。ママたちからも「時給だと上限があるけれど、成果報酬型だと時給を上げようと頑張れる」と好評だ。「忙しいときは雨の日もカッパを着てやることもあります」「大きくなったねってりんごに話かけちゃう」と教えてくれた方もいて、自由さの中に愛着と責任感も育まれているのだと感じる。
 剛史さんは、成果報酬型の導入について「ゆくゆくは畑単位でまかせられるようにしたい」とさらなる展望も教えてくれた。

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次世代の育成と産地化のために



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 剛史さんの元には、与古美農園の栽培技術を学ぼうと、多くの農業関係者が訪れる。先日も50名の視察団がマイクロバスで圃場を見学に来たばかりだ。新規就農者の育成にも力をいれており、すでに3名の新規就農者を送り出し、現在も2組の研修生を受け入れている。「みんなで頑張って、ここを産地化することができればいいなと思って」。今年は、地元の中学校だけでなく、東京の早稲田大学からも講演やキャリア教育の依頼もあり、自身の農業経営に対する思いを伝え、次世代の育成にも前向きに取り組む。
 「農園に携わるすべての人を幸せにしたいですね」そう語る剛史さん。与古美農園から始まる幸せの伝達は、確かに、そこで働く人を通して地域へ、そして子どもたちへと伝わっていると思う。

信州のりんご 与古美
〒396-0212
長野県伊那市高遠町長藤616
https://yokomi.net/


(産直コペルvol.37「特集子育て×農業」より)
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