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特集 農産加工の原点その2 農村女性の喜びと共に

現在の「農産加工」、ひいては、「6次産業化」の原点を紐解いていくと、その歴史は、戦後すぐに始まった「生活改善普及事業」にまで遡ることができる。
 「生活改善普及事業」とは、「農業改良普及事業」と共に、戦後日本において、農村の暮らしの向上、考える農民を育成するために、農業経営および農村生活の改善に関する技術・知識の普及、啓蒙を行う、都道府県と国との協同事業をいう。生活改善普及事業は、主に農村女性を対象に、かまどの合理化・効率化を行う「かまど改善」からはじまり、栄養学や保健衛生などの衣食住に関する実用的な知識や技術の普及が目指された。
 そこで活躍したのが、「生活改良普及員」だ。採用されたのは、地域の若き女性達。まだまだ女性が外で働くことが珍しかった時代に、農村の暮らしをより良くしていくために、多くの女性達が身を粉にして働いてきた。
 そのひとりである池田玲子さん(78)。長野県の生活改良普及員として、20歳から60歳まで、40年間勤め上げた。普及員を退職した後も、農村の暮らしと知恵を語り継いでいくため、精力的に活動している。現在、制度としての「生活改善」はその役目を終えたが、池田さんが農家の女性達と共に切り拓いてきた道は、「農村の可能性」を開き、現在に続く「6次産業化の原点」ともいえる。
 今回、池田さんが働いていた当時のことや戦後の農村女性達がどう生きてきたのかなど、様々な話を聞くことができた。農村で生きる女性達の思いを背負ってきた「農産加工」の歴史について、紐解いてみる。 (編集部・柳澤愛由)



農家の女性たちを支えるために



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「20歳を過ぎた位の私の話に、よく耳を貸してくれたと思います」と、池田さんは当時を振り返る。
 池田さんが生活改良普及員として働き始めたのは、昭和34年のこと。日本は高度経済成長を迎え、農村でも、徐々に兼業化が進み、男性は農業よりも手取りの良い仕事に就くことが多くなっていたそうだ。そうした中、農業を主に担い始めていたのが、農家の女性達だった。池田さんは、そうした女性達のもとに通いながら、生活改善のための知識の普及に当たっていた。
 池田さんが働き始めた昭和30年代は、既に事業も着実な歩みを進めており、農村の生活様式も徐々に変化しつつあった頃。
 「働き始めた頃はもうかまど改善は行われていなくて、最初の仕事は、女性達の仕事を助けるために、農繁期に共同炊事場を作ったり、子供を預けられる季節保育所を作ったりしたことだったかな。お宮さんを借りて、当番制でおかずを作ったり、共同作業の仕組みを作ったりして」
 女性のための働く環境など、特に農村部では縁の無かった時代、家で子どもをそっと寝かせてから畑に出たり、子どもを畔で遊ばせたりしながら農作業を行うのが常だった。兼業化が進み、女性達の負担が増えた時代だったからこそ、地域の中で助け合う仕組みが求められていた。



女性達の切なさに寄り添うのが普及員



 「上から教えるんじゃなくて、何が辛いの、何が切ないの、何したいのって、女性達が抱えている問題に寄り添うところからはじめた」という池田さん。まだまだ農村女性の地位は低く、貧しさや切なさを、多くの女性達が抱えていた。
 池田さんの普及員としての仕事の原点には、そうした女性達の「無念さ」や「切なさ」が根底にあるという。働き始めてすぐ、当時、婦人会の会長をしていた母親が、地元の長野県飯山市で女性市議会議員を出そうと活動していた。「女性達も元気だったし、女性の票が入れば、半分以上の票が取れるはずだった。でも落選しちゃったの。婦人会は当時すごく力があったのに、それでもダメだったっていう無念さがあったな」
 結局、それから35年余の間、飯山市から女性市議が出ることはなかったそうだ。それだけ、女性の活躍には、大きな壁があったのだ。
 そんな女性達のニーズを丁寧にくみ取り、「切なさ」に寄り添いながら活動を進めていった池田さん。しかし次第に、地方は離村や農業従事者自体の減少に直面していく。それでも何とか、この土地の農業を守っていこうと頑張っていた女性達も多くいたそうだ。そんな女性達を支え、皆で助け合い、勉強し合う場を提供することも、池田さんの役割だった。
 池田さんは、地域の中で「生活改善グループ」を組織し、農村女性が相互に助け合ったり、料理教室を行ったりして、女性達の悩みを共有できる場づくりを進めていった。
 こうした生活改善普及事業を通じたネットワークでつながった農村女性達は、その後の農産加工団体等の活動の基盤として、歩みを進めていくことになる。
 


見直された「郷土食」
農産物直売事業の発展と共に



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 時は流れ、昭和40年代の高度経済成長からその終焉に至る頃、社会全体はかつてより豊かになったものの、農業者の減少、高齢化などの問題の顕在化に加え、農村の日々の暮らしの中で培われた様々な技術と知識は次第に失われつつあった。
 また、飽食の時代を迎え、生活習慣病(当時でいう成人病)なども増える中、生活改善普及事業はそれまでの目的を大きく見直し、日本食や各地域に残る独特な食文化を省み、変革の対象であった農村の暮らしの中から「学ばなければならない」という姿勢へと変化していった。
 その主役となったのが、生活改善グループ等の農村女性達のネットワーク組織だ。昭和50年代から60年代は、郷土食をテーマにした冊子の出版なども相次ぎ、地域の郷土食を一堂に会した展示会なども開催される等、「ふるさとの味」はより一層注目されるようになる。
 また同時期、無人販売所や青空市等の「農産物直売所」が各地で誕生し、農産加工と共に発展を遂げていく。農産物直売所は、農業所得の向上や消費者との結びつきを求めた農家の女性達が運営を担うケースも多かった。
 また、全国的に「一村一品運動」等の「地域の特産品づくり」を通じた地域振興、村おこし運動が各地で興り始めていた。小さな加工所が少しずつ整備され、生活改善グループ等を基盤とする加工団体が、各地で組織されていったのもこの頃だ。郷土食や地域の食材を使った「農産加工」が積極的に行われるようになり、さらに、農家から持ち込まれた大豆や小麦粉を味噌やうどん等にして返すという受託加工(委託加工)が盛んになった。
 同時に、農産物直売所という販売できる場所ができたこと、また村おこし運動と連動して地域の特産品づくりが求められるようになったことで、徐々に農村女性達の技術や知恵を活かした、味噌や菓子・惣菜等の商品としての「農産加工品づくり」も各地で進められるようになった。この頃が、現在に続く「6次産業化」の黎明期といえる。



売れるんだ!農村女性の喜び




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 「女性達は嬉しかったと思います。自分達の技術で作ったものが、売れてお金になるんだっていう、その気付きは大きかったと思う。何が辛いの、悲しいのと聞いてまわっていたとき、『自由に使えるお金がない』とか、『何か始めようにも、通帳が無ければお金も貸して貰えない』とか、そんな言葉が数多く聞かれましたから」
 この頃、加工品づくりとその販売のための仕組みづくりが、池田さんの重要な仕事となっていた。女性達と共に行政へ陳情に行き、農産加工施設の建設を進めたそうだ。
 女性の活動が活発にはなっていたとはいえ、その頃はまだ、多くの農家の女性が「自分名義の通帳を持つ」ことさえ、ままならない時代。そんな当時の女性達にとって、自分のお金を持つということが、どれだけ大きな出来事だったのか、想像に難くない。
 こうして、昔ながらの知恵や工夫を活かした多様な手造り加工品は、飽食の時代を迎え、世間に出回る添加物等を多用した画一的な大量生産品とは、異なる魅力をもって受け入れられた。それは、農産物直売所の発展と共に、次第に彼女達に大きなやりがいと自信をもたらしていき、地域の中の女性達の存在感は明らかに大きなものになっていった。それは、かつての「切なさ」を跳ね返すような活動でもあった。




忘れてはならない「むらの思想」がある



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 農産加工の歴史を紐解くと、池田さんのような普及員が、時代時代の農村女性のニーズを丁寧にすくい上げ、そこに呼応した農村女性達の「何とかしたい」という強い思いが存在していたことが分かる。その思いに裏打ちされた農村女性達の主体的な活動が、現在の「6次産業化」の原点であるといえるだろう。だからこそ、どれだけ農産物直売所が発展し、農産加工が盛んになっても、忘れてはいけないことがあると、池田さんは言う。
 「農村は自分達で栽培したものを加工して、余ったものをおすそわけするという暮らしをずっとしてきました。先人達が築いてきた『耕す文化・郷土の誇り』を後世にちゃんとつないでいこうよ、そして地域に還元していこうよ、というのが農産加工の原点です。その意味付けはしっかりと行わなくちゃね」
 その土地の風土で育まれた食文化には、その土地や自然への感謝や、願いが込められている。それが農村に根付いてきた文化であり、「むらの思想」であるという。「女性達とそんな勉強会もよくしたよ。今はあんまり学ばないよね」。少し寂しそうに池田さんは言う。
 「生活改善普及事業」は、開始当初は都市的・欧米的な生活様式を基礎とした農村生活の変革が目下の目標だった。食糧難の時代でもあり、節米が奨励されており、欧米の栄養学を基礎とした粉食、パン食が良しとされた時代もあった。
 もちろん、事業が始まった昭和20年代後半、水道水も普及していなかった農村で、重労働、不衛生な生活から解放されるために、生活様式の抜本的な変革は必要だったことだろう。確かに、かつての農村にあった知恵や技術は、日々の厳しい労働によって築かれたものだ。しかし、その農村の暮らしに寄り添い、耳を傾けてきた池田さんら普及員は、その暮らしの中から農村の可能性を見出した。
 「農産加工品」は単なる商品ではなく、農村の暮らしの中で受け継がれた技術や知恵、食文化の中に息づく願いや祈りをその中に包括し、失われつつあった暮らしを次世代につなげるための存在でもある。そして、郷土の味や文化を伝え守り、農村の可能性を切り拓いてきた女性達の歴史が詰まってもいる。そしてふるさとを守り、その誇りを具現化するものでもあるはずだ。
 「大きいことはいいことだ、という風潮がどうも最近多い気がします。規模が大きくなって、加工所で働くことが、単なる労働でしかなくなってしまっている所もあります。でも、農産加工は、自分達が教わってきた、農村の食文化や思想をもっとちゃんと伝えなくちゃならないと思う」
 池田さんは、現在、かつての食文化を伝える側=「語り部」の養成を行っている。行政と協力し、地域の食文化をまとめた「食の風土記」の出版なども行ってきた。
 農産加工事業が盛んになって30年余り、世代交代と共に、高齢化も進んでいる。だからこそ今、農産加工に従事している人達が、今度は語り部として伝えていく自覚と責任を持って欲しいと池田さんは話す。
 池田さんのような普及員たちが、農村女性と共に育て上げてきた「農産加工」―その原点を、もう一度振り返るべき時がきているのではないだろうか。


(産直コペルvol.20掲載「特集 農産加工の原点」より)



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