全国の地域おこしの先進事例が満載 ―産直コペルより―
被災地の直売所 vol.3 「あの時と今」
震災のわずか3日後には営業を再開
岩手県遠野市は、太平洋と奥羽山脈に挟まれた北上山地に位置し、人口は約3万人。古くから沿岸部と内陸部とをつなぐ交通の要所として発達してきた。また2011年3月11日に起こった東日本大震災の折には、甚大な被害を受けた沿岸部の自治体への支援活動において、迅速な対応で大きな役割を果たした。
産直ともちゃんは、遠野市小友町の、国道107号線沿いに店舗を構える。平成15年4月にオープンし、今年で11年目を迎えた。農産物の直売だけでなく、食堂やパン工房も併設しており、惣菜や弁当も販売している。店長の松田隆悦さんに、お話を聞いた。
震災発生から3日で営業再開
震災直後、遠野市でも電気や水道などのライフラインがストップしたため、3日間は営業を休んだが、それらが復旧してからはすぐに店を再開した。
産直ともちゃんは、その立地により、沿岸部からのお客さんだけでなく、沿岸部へ救援物資を届けるために全国からやってきた、機動隊やボランティアの人々の中継地にもなったそうだ。
東日本大震災が起きた年は、例年と比較し、売上げ額が倍増した。それは、被害の激しかった沿岸部に物資が不足し、遠野市まで物資を求めてやってくるお客さんが多かったためだ。中でも、生きるための必需品となる米は、最も売れたそうだ。松田さんは複雑な表情で当時を思い返した。
またその年の夏には、軽トラックに野菜を積んで被災地へ運び、格安の値段で売ることもしたという松田さん。「何度か行ったことのある場所のはずなのに、信号も何もなくなっていて、どこを走っているのかまるでわからなかった」。当時を振り返ってそう語った。震災から3年が経った今でも、被害の激しかった沿岸部は、更地のまま残されている場所も依然として多い。
震災当時の印象深い出来事
震災直後のことを尋ねると、強く心に残っているというエピソードを語ってくれた。
震災発生から数日後、開店準備のため、朝の7時に松田さんが店にやって来ると、店が開くまでにはまだ1時間以上あるにも関わらず、夫婦のお客さんがいた。その夫婦は「どうかお願いします、米を譲ってくれませんか」と、松田さんに頼んだという。その時たまたま、自分の息子に送るために精米した米を車に積んでいた松田さんは、その米をそのままお客さんに渡した。その夫婦は、「あの時は本当にありがとうございました」と、今でも店に来るたびにお礼を言うそうだ。誰もが生きるのに必死にならざるを得なかった当時の生活が思われる。
また、松田さんの妹さんは陸前高田に暮らしており、震災発生後、連絡がとれない状態が続いたという。妹さんが職場の同僚からガソリンをわけてもらい、遠野市の実家へやってこられたのは、震災が起こってから1週間後のことだった。中学校の教師をしている妹さんは、職場の小学校が避難所となったこともあって、身動きがとれない状態だったのだ。情報が入ってこない中で、松田さんは妹さんの状況を心配しながらも、店の営業を再開し、物資を求める人に品物を提供し続けた。
これからに向けて
産直ともちゃんの目玉となる商品の開発を目指し、今後は加工事業を立ち上げたいのだと、展望を教えてくれた。昔に比べて組合員は減ったが、それでも残った組合員が頑張っていることで売上げは伸び続けている。レジも、組合員が当番制で担当している。また、三つ葉のクローバーという女性団体の作るパンも人気で、店の主力商品ともなっているそうだ。
産直ともちゃんが出来たのは、進む過疎化に対して「何かしなきゃ」という地域住民皆の気持ちがあったからだ。組合員の平均年齢は60代後半になり、高齢化は進んでいるが、産直ともちゃんが提供する野菜や食べ物で、地元小友町を活気づけていくだろう。
(平成26.10.12 産直コペルvol.8より)