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土から育てる vol.6 安心とおいしさを届けるイチゴ農家に
土づくりに強いこだわりを持つ農家を訪ねる本シリーズ。第6弾は、長野県南部、中央アルプス木曽駒ケ岳の麓でイチゴを栽培する(有)ヨッシャア駒ヶ根の代表取締役・平塚登さんを訪ねた。
1haの生産ハウスと0.5haの苗用ハウスを使い、一年間を通じてイチゴを育てている。自らブレンドした土を使い、必要な水分や養分を水肥で与える養液土耕栽培。目利きバイヤーから「甘さが違う」「6番果、7番果になっても1番果と同じ甘さだ」と高く評価されている。2015年実績で、スーパーなどへの出荷で5400万円ほどを売上げ、摘み取り農園に年間7000人の客を迎え入れるヨッシャア駒ヶ根の秘密はどこにあるのか?
味と質を誇り、年間を通じて栽培する
標高2956メートル、雪をかぶった木曽駒ケ岳の直下、駒ヶ根高原の一角にあるハウスには、大粒の実をつけたものや、可愛い花を咲かせたものなど、様々な生育段階のイチゴが整然と並んでいた。
取材したのは3月上旬。まだまだ氷点下になる朝も多い時期に、ヨッシャア駒ヶ根のハウスは、日中、換気の間口を開け、外気を入れているところもあった。
「じっくり実をならせるのがウチの特徴。3月に花が咲いたなら、大体50日かけて実をつけさせる。そうすると甘さが乗り、美味しいイチゴができる」と平塚さんは話す。
一般の施設栽培だと、この時期は開花後35~40日で実をならせるという。かける時間が違う。他の季節でも、およそ10~15日ほど長い。「その方が味が熟成する」という。
栽培する品種は、あきひめ・紅ほっぺ・とちおとめ・やよいひめ・まこひめ。前4者は12月から7月下旬に収穫できる「一季成り」で、最後のまこひめは8月から12月も収穫できる「四季成り」だ。「1年365日、ずっと出荷できる生産体制を確立している。苗も育てているから、本当にイチゴで明け、イチゴで暮れる」と笑う。
ちなみに、まこひめは、高知県の農薬会社が開発した品種だが、知己を頼って平塚さんに試験栽培の依頼があり、4年前に栽培方法を確立して、現在は、同品種の苗の育成から栽培の技術指導まで一手に引き受けているとのことである。
ヨッシャア駒ヶ根のイチゴの味には定評がある。「一度ここに来たら他にはもう行けない」と話す摘み取り農園の客は数多い。何より甘さが違う。糖度は、先端部分で15度もあり、ヘタ付近で8度だという。糖度15度は甘さがウリのあきひめやとちおとめでも最高度の甘さとされている。
イチゴは、「一季成り」の品種でも、一つの株から何度も実が採れる。水耕栽培でも土耕栽培でも。はじめのうちは味が乗ったものが出るが、次第に甘さが落ちていく。しかし、ヨッシャア駒ヶ根のイチゴは「6番果、7番果になっても味が変わらない」とスーパーのバイヤーなどに評価されている。
果実の「艶・照り」の違いを指摘するプロも多い。プロでなくても、同じ品種のイチゴを並べてみれば、誰が見ても「ピカピカしている」のが分かる。
こだわりの土耕栽培のパワー
何が違うのか?
「栽培方法が違う。煎じ詰めれば土づくりが違う」と平塚さんは言う。
ヨッシャア駒ヶ根は、培地にロックウールなどを使う水耕栽培と異なり、土を培地にし、肥料を溶かした水肥を用いて灌水と施肥を同時に行う養液土耕栽培だ。
培地の土は、15年間ほど同じ土。露地のイチゴ栽培では連作障害があり4、5年で圃場を変えなければいけないことからすれば、驚くべきことだ。イチゴ用の専用培土をもとに、小諸市のブラウンエッグファームが作る完全発酵鶏糞を2年間に渡り入れて発酵させた大本の土。これを作ったのが15年前。以降、これに、ピートモスにバーミキュライトやパーライトをアレンジした培土を補充したり、バイオ酵素という特殊な酵素を直接混ぜ込んだりして土を育てて来た。栽培サイクルが終わると、次の作付けの前に、病気予防のための太陽熱殺菌を行うという。
この土が高設架台の上に盛られ、シートにくるまれる。そこに灌水装置で水肥が回されて水分と養分が同時に補給されイチゴが育つのだ。この水肥がまた他所と違う。以前は、イチゴ専用肥料を単体で使用していたが、現在では、養液土耕6号を中心にしてアグリスや有機固形肥料を混合して使う。イチゴの様子を見てバイオ酵素を入れることもある。
とにかく、こうして水肥が回され、そのつど土は育って行く。数年前に、知人がイチゴ栽培を始めるというので、「育てた土」を分けてあげた。その分、「新しい土」を作らなければならなかったわけだが、「どうも昔の味が出ない」そうだ。
農薬はどうしているか?
「イチゴ栽培は無農薬ではできない」という。だが、「以前は、高くてもよく効く化学農薬で虫も病気も封じ込めると言う考え方だったが、今は、予防する、虫や病気が出る前に、やさしく抑え込んで行くという考え方に変わった」。防虫には、植物性タンパク質や脂肪酸など自然素材の農薬を使う。「イエロー」と呼ばれる環境負荷の少ない〝ハエ取り紙〟も使用する。
殺菌には炭酸水素カリウムや炭酸水素ナトリウムなど極力環境負荷の少ない物を使っているという。イチゴ特有の灰色かび病にはナトリウムが、うどんこ病にはカリウムが効くのだそうだ。
「20aのハウスばかりで、70メートル噴霧器で農薬散布を行い、そこで折り返してまた70メートルということを繰り返す。そうすると、いっぱいかかるわけですよ、イチゴにも、作業している自分たちにも。お客さんのためにも、自分たちのためにも安全で安心なものに切り替えないといけないと思いましたね」と振り返る。
Uターンの後に新規就農、土づくりが転機
平塚さんは64歳(2016年3月現在)。信州大学農学部を卒業して、名古屋の卸売会社に就職、生鮮野菜の販売流通などに携わった。16年ほどを経て、家族の事情などもあり実家のある長野県岡谷市にUターン。前職で培った経験を買われて、新たに水耕栽培のシステムの販売を手がけようとしていた製造業会社に就職した。そこで8年間ほどシステム販売に携わるうちに、自ら水耕栽培で農作物を作ろうと考えるようになり、偶然、新規就農者を支援することを掲げていた駒ヶ根市を知り、移住した。
「だから、最初はイチゴの水耕栽培。今から言うと、最初は何も特徴がなかったし、販売先も決まらず、市場出荷が基本だった」と振り返る。「自分が作ったものなのに、値段が決まらない。市場の取引で上がったり下がったりする。これがとても悲しかった」という。
ひょんなことから事態は大きく変わった。水耕栽培よりは特色の出しやすい土耕栽培にしようと模索しはじめたころ、脇役的に栽培していた水菜が、近くのもやし栽培会社の納品用トラックに乗って長野県内の有名スーパーに届けられた。それが先方の目に止まり、「面白いから、全量納品して欲しい」という依頼が舞い込んだのだ。年間通して一把70円の契約栽培。値段が決まっていることがうれしかった。
そこで、「調子に乗って(本人弁)、ウチの本業はイチゴなんだけど、こっちもなんとか…」と申し出ると、すぐにバイヤーの責任者から、「土耕のイチゴは珍しいから出荷して欲しい。試しにこの酵素を使ってみてくれと言われて、今も使っているバイオ酵素を紹介された」のだそうだ。酵素を作る会社の当時の社長も訪ねてきたという。この「バイヤーの責任者」が、本連載特集のアテンド役の伊藤勝彦さん(NPO法人「土と人の健康つくり隊」理事長)だ。
「就農して水耕栽培を始めたけれど、お金ばかりかかり、農産物は売れない、安い、という状態で悩んでいた。土耕に切り替えるべきだけれどどうしたら良いか分からない。そういう時に、天啓のように新たな出会いがあったわけです」と平塚さん。
以来15年、土づくりが農業の基本と考え、土づくりに打ち込んできた。現在の酵素を使った農法=土づくりの特徴と効果について、「この酵素を使うと有効微生物の活動が活発になる。それがおいしいイチゴを育てるのだと思う」と話す。
五感的には「土の匂いが違う」「手触り感が違う(サラサラしている)」「虫やミミズがうようよいる(彼らの食料になる微生物が増えることによる)」。
これがイチゴ成長の度合いにも変化をもたらし、草勢(草丈がどんどん伸びる勢い)を抑え、茎や株を太くする。実を大きくし、味を乗らせ、見た目もピカピカ・ツヤツヤにする。土の中では、根が下の方にまで伸び、毛細根がびっしり生えている—こんな効果がもたらされていると話す。
「失敗したから今がある」
「最初は水耕栽培だった。今から言えばこれが良かった」と平塚さんは言う。
就農しようと決心した時、これからの農業は施設栽培、しかも水耕栽培でやらないと採算が取れなくなるだろうと考えた。それは、水耕栽培のシステムを販売していた経験からつかんだことだった。
しかし、実際に始めてみると、冬場は寒くて成長しない。外気が暖かくなっても、根が弱くて、普通に戻るまでに時間がかかる。かといって冬場の温度を上げるために石油を焚くと経費が嵩む。
こうしたことが鮮明になり、ハウスでの水耕栽培をやめようと考えたが、そもそも借金をしてハウスの水耕栽培を始めたから、これを止めて別の形にするためにまた借金をするということは考えられなかった。
それでたどりついたのが、水耕栽培の施設を有効活用して、土耕で育てられる今のシステムだった。「この養液土耕システムを確立するのに、酵素の力は大きかった」と振り返る。
「いろいろやって失敗し、それを乗り越えてきたから今がある。自分が失敗していないことは、人に聞かれても答えられないけれど、自分が失敗したことは、大体答えられる。そう考えると、イチゴづくりの仲間たちに支えられてここまで来て、今こうしてイチゴづくりが出来ていることが幸せなのかなと思うようになりましたね」と話す。
最後に夢を語ってもらった。「ヨッシャア駒ヶ根がお客さんに飽きられない、また行きたくなる・食べたくなるイチゴ園であり続けること」。「できれば、ここを拠点に駒ケ根高原全体を農業体験もできる大きな観光スポットに育てあげること」。
そして「子どもに、この農園を継いでもらうこと」。
(平成28.6.14 産直コペルvol.17より)