全国の地域おこしの先進事例が満載 ―産直コペルより―

シリーズ・東北の地域おこしを訪ねて「三陸海岸の新たな鼓動」

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 3・11以後4年半を経た今夏、岩手県の南三陸地域を再び訪ねた。大規模な嵩上げ工事が続き、今なお、もうもうと土煙が上がる〝復旧真只中〟の陸前高田などの例もあるが、他方で、漁港の水産市場やそれに軒を並べる水産加工場などの再建・整備が進み、いよいよ最大の地場産業である漁業の復興の足音が高く聞こえてくる地域もある。
 本誌では、岩手県在住の読者などの働きかけもあり、被災直後から、たびたび岩手県を訪ね、被災地の中で元気な声を上げる地域おこしの様々な取組みをレポートしてきた。
 そのような情報発信も、遠く離れた人々を繋ぐ一助となり、本年1月の長野県産直・直売サミットの場を皮切りに、岩手県の物産を長野県の直売所などで販売し、被災地の産業復興・地域振興に継続的に役に立つことを目指す連携した取組みも始まった。この8月に、長野県の松本市の生産者直売所アルプス市場と、同じく上田市の農産物直売所あさつゆの2ヵ所で、連続的に開催された岩手産直市がそれである。
 本号では、この夏の岩手産直のために海産物を提供してくれた大船渡市のワカメ問屋「マルワカ熊谷商店」と山田町の水産加工会社「山崎水産」を訪ね、東日本大震災以降の苦難の道のりと、いま、広がり始めている展望を語ってもらった。


風評と市場原理の壁、なお高く
ワカメ問屋 「マルワカ熊谷商店」



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浜に戻ってきた活気



 「養殖のカキやアワビがようやく出荷できるまでに成長し、浜に活気が戻ってきた気はします」。
 4年半前、大津波で港も町も、海に連なっていた養殖いかだも壊滅的な打撃を受けた大船渡市。その地で60余年の歴史を持つワカメ問屋、マルワカ熊谷商店の熊谷真さんはそう語る。
 被災当時、東京で会社勤めをしていた。ふるさと大船渡が津波にのみ込まれていく映像を目の当たりにして「言葉が出なかった」。募ってくるのは、「家族は、友人たちは、あの町はどうなってしまうんだ」という思いばかり。かろうじて繋がった電話で、岬の断崖絶壁の上にある自宅兼工場は無事で、知り合いの多くが言い伝えの通りに浜から高台に駆け上がり無事を確保していたことを知った。もちろん悲しい情報もたくさん入ってきたという。
 「ここに戻ろう。戻って復旧・復興の先頭に立とう」。被災直後、救援物資を持って、まだがれきに埋もれていた道を掻き分けて大船に入った時、もう、そう決意していた。
 あれから4年半。漁師の人々が、浜を整理し、海底のがれきを取り除き、新たないかだを浮かべてカキやホタテの養殖を再開して、ようやく、その出荷が軌道に乗り始めたところだそうだ。


ワカメは一年で育つけれども…



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 「その点、ワカメは違うんですよ。1年で収穫できる。だから、頑張れば1年、遅くとも2年で元に戻せると考えていたけど、まったく甘かったですね」。
 ワカメの収穫期は3月から4月。3・11で収穫直前のワカメは、養殖いかだごと全部津波に持っていかれた。岩手県全体で毎年2万トン前後の生産量だったものが、2011年はわずかに570トン。しかし、三陸ワカメはブランド品で、このわずかに残ったものが飛ぶように売れた。「だから、1年経って、次の年のものを出せれば、何とか元に戻せるだろうと思ったんですけどね」と振り返る。
 翌2012年。原発事故の風評被害が三陸ワカメを直撃した。
 2011年、三陸産が売り尽されて空いてしまったスーパーの棚は、鳴門を始め他地域産のもの、また中国や韓国など外国産のものが埋めた。
 2012年、岩手県産は被災前年の約75%ほどの生産量を示し、他産地のワカメを駆逐して棚に並ぶはずだったが、原発事故の風評で「客離れが起きている」との理由で、昔からの取引のあったスーパーなども注文を絞り込んだままだった。三陸産はことごとく市場から締め出されてしまったのだ。
 当然、発生する価格破壊。品質がウリだった三陸ワカメも、ダンピングで勝負せざるをえなくなり、浜値=漁師から問屋に売られる際の値段も、その煽りで低価格化した。
 「復旧・復興と言っても、インフラ整備などハード面は進んでも、一番の地場産業を立て直すソフト面はずっと民間任せ。まだまだ、棚の占有率も震災前の3割程度だし、価格もちょっとぶり返してきたけど、昔に比べればまだまだです」と熊谷さんは話す。


市場原理の壁を超えるもの



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 一番苦しかったのは、徹底した放射能検査で数値的には基準値以下であることが明確になっても、スーパーや量販店では、お客さんにそれを説明してくれないこと。「漁師や自分たち問屋の代わりに、商品の良さ・素性を説明してくれなければ、売りようがない」と困ったという。
 それと同時に、「客離れ」を理由に、棚から一挙に下げられてしまったこと。たとえ風評で客の7割は購入を控えたとしても、残りの3割は三陸産を選んでくれるかもしれない。その機会も根こそぎ奪われてしまったことが、とても苦しかったと言う。
 「結局、良いワカメをつくり、その質を理解してくれる人を介して、違いが分かるお客さんに買っていただく。こういう人のネットワークを作ることが核心だと思うようになりました。復旧・復興の過程で学んだこととしては、これが一番大きいかな」と笑顔でまとめた。


名ばかりの「地域振興」を超えて
鮮魚・冷凍加工 「(有)山崎水産」



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ハード復旧は進むが、人手と原料が不足



 「山田町、特に海岸端の復旧はかなり進んできましたね」。そう話すのは、山田町で鮮魚出荷や冷凍加工並びにそれらの販売をする山崎水産の山崎和大専務。
 震災前に工場のあった山田町船越地区は、津波で壊滅的打撃を受け、工場は崩壊した。直後から岩手県が先頭に立ち進めた復旧・復興事業に支えられ、被災した事業者でグループを作り、いち早く事業の再開に向け動き始めた。被災2年後に新工場開設。ホタテ、カキ、ウニ、アワビ、イクラ、サケ、イカ、マス、サバなどを鮮魚や冷凍で出荷し、干物やフレークなどに加工。全国の各都道府県の中央卸売市場、震災前から関係のあった東京の専門店や鮮魚店、寿司屋、大手コンビニチェーンなどとの取引を再開させている。
 「設備が新しくなったりしたので、お陰様で、売上げは震災前の倍になりました。うちだけでなく、山田町全体でも、港周辺は、魚市場や工場が再建され、冷蔵施設・加工施設も整って、ハード面の復旧はかなり進んだという実感です」と笑顔で話した。
 現在の課題は、人手不足と材料不足。震災復旧の土木工事などが多いため、労働力はそちらに集中ぎみ。水産や水産加工は事業拡大のチャンスなのに、人手不足で困っているそうだ。また、地震の影響で海底の地形が変わったためか、水産物の種類と量が昔とは変わってきており、モノによっては原料不足に陥っていることも心配の種だと言う。


「品質」が守ってくれた、人との繋がり



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 「被災直後から2013年3月の新工場スタートまで2年間があったのですが、この間も、港に上がる魚を販売する仕事を継続してできたので、お客さんが離れないでいてくれた。それが一番お陰様なことだったと思います」と話す。
 鮮魚にせよ、加工品にせよ、山崎さんが自信を持っているのは、品物の質。「吟味して、自分たちが満足いくもの以外は絶対に出さない。この姿勢を、被災前から頑固なまでに守ってきました。それは今でも同じです」。品質が、お客さんとの繋がりを守ってくれたと胸を張る。例えばどういう品か?と問うてみたところ、「イクラは東京の老舗寿司屋のどこに出しても恥ずかしくない自信がある」と話した。


誰による何のための「地域振興」か?



 3・11以後4年半。これまでのプロセスを振り返って、「『地域振興』という言葉にいろいろな疑問を抱いた時期でもあった」と話す。
 「復旧支援」「地域振興」の名のもとに、政府・行政機関や、各種NPOなどが旗を振り、大手から中小まで、実に様々な事業者が、販路拡大・商品開発・相互交流拡大などと称して「支援」に来た。だが、「中には素晴らしい取組みもあったが、全体としてはかなり疑問に感じた」という。
 「自分たちは食うため=つまり実際の事業を再開し、売上げを上げ、従業員の暮らしを良くする―そのために自分たちで力を合わせて頑張ろうとしているのだが、実際の事業のためではなく、『復旧支援』とか『地域振興』とかの名前のついたイベントに参加することで名前を売ろうとしているだけのような例も少なくなかった」と山崎さんは話す。
 誰による何のための「復旧支援」「地域振興」なのか?―岩手県南三陸地方の復旧・復興の現状に触れて、今、まさに全国各地で取りざたされている「地方創生」の根幹にも関わる問題を摘出されているようにも感じた。

(平成27.12.1 産直コペルvol.14より)
産直コペルとは

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