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農家を訪ねて vol.8 太陽と土が育てた能登栗

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 石川県輪島市の中山間地で能登栗栽培を営む松尾和広さんは、能登で唯一の栗専業農家だ。
 松尾さんは、生産した栗を全て焼き栗にし、輪島の朝市や近隣の大型スーパー、通販などで販売。生産から、製造、販売まで全てを独自で行なっている。焼き栗の味が評判になり、現在では多くのリピーターやファンがいる程。
 松尾さんは、放棄されそうな栗園(1.5ha)の担い手募集という案内を見て、能登へ単独で移住。現在は、5.3haの栗園と焼き栗販売を行なっている。


糖度3倍の絶品焼き栗



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 「しっかりと手間をかけて育てた栗を、熟成させて作った焼き栗の美味しさは格別です」。松尾栗園の松尾和広さんは、笑顔で話す。
 松尾栗園の焼き栗は、栽培から収穫、熟成、加工に至る全ての作業を自分の手で行なって作る自慢の逸品だ。丹精込めて育てられた栗は収穫・選果・熟成を経て焼き栗になる。

 松尾さんの焼き栗の美味しさの秘密は、この熟成にある。栗は収穫後に氷温熟成を行なう事で、デンプンの熟成糖化が進み、甘味が熟成前の3倍以上になる。松尾さんは、この氷温熟成が最も進む45日〜60日間熟成させており、一般的な生栗とは比べ物にならない程、甘くて美味しい栗が出来上がる。この栗を調味料や添加物は一切使用せずに、圧力回転釜でじっくりと加熱していく。栗の水分だけで、焼き上げるため、旨味、甘味を一切逃がさずにほくほくに仕上げる事が出来る。
 焼き栗というのは、非常にシンプルな加工品だが、シンプルだからこそ、「素材の味次第」になってしまう。
「だから、どの作業にも気は抜けませんね」と松尾さんは笑う。


選定から選果まで、一切気が抜けない栗栽培



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 栗は、最も太陽光の要求度が高い果樹だと言われている。そのため、松尾栗園では、1000本以上ある栗の樹高を全て4m以内に抑えている。こうすることで、全ての枝、葉、実にも光を当てる事が出来る。樹高がバラバラになると、樹の影が出来易く、更に樹の上と下で、光が当たる量が異なってしまうのだ。松尾さんが、引き継いだ頃は、樹高が高い栗ばかりだったが何年もかけて、徐々に低くしてきた。
 土作りにもこだわり、除草剤は一切使わず、定期的な土壌診断によって、足りない養分だけを施肥し、バランスの取れた土作りを行なっている。

 松尾さんは、「栗にとって、良い環境を整えることを目指しています。あとは、栗の力で自然に成長してくれます。僕自身が作るというよりも、『太陽と土が育てた能登栗』ですね」と力強く話す。
「栽培期間中に良い栗を育てるのは、もちろんのことですが、焼き栗は、収穫からが一番気を使うかもしれません」。

 収穫期はバイトさんと共に、毎朝5時から行い、夕方にももう1度収穫を行なう。一刻も早く、一個も見落としがない様に拾い集めなければならない。
 栗は、落下してから収穫までの時間が長くなるほど、腐敗果や虫害果が増加し、商品価値が急激に低下してしまう。拾い忘れた果実は、翌日にはまず商品にならない。
 収穫した栗は、すぐに選果を行なう。
「選果は収穫よりも時間と集中力がいる作業なんですよ」と松尾さん。

 最初に水槽を使った一次選果を行なう。このときに、浮いた栗は全て取り除く。これは、栗の主成分であるデンプンが水よりも重いことを使った選果方法だ。浮いてきた栗は、デンプン比重が軽く、美味しくない。
 続いて2次選果。1粒1粒目をこらして病虫害果を選り分ける。虫害の穴は、小さく、注意しなければ、見落としてしまう。この作業で手を抜いてしまうと、商品価値が一気に下がってしまう。選果された栗のみが次の行程、氷温貯蔵され、約2ヶ月後にようやく焼き栗になるのだ。

 

能登栗



 今では、能登栗といえば、松尾さん、という程有名になった能登で唯一の能登栗専業農家の松尾さんだが、Iターンで能登に来た2005年当時は、焼き栗のことはもとより、栗のことも、農業についても、能登という地についてもほとんど何も知らない状態だった。

 東京でサラリーマンをしていた松尾さんだったが、29歳のときに退社。30歳手前で、自分の生き方を考えた。ふと、「自分は作られたものを消費するだけの生活を送っているのではないか。自分自身で生産する生き方をしたい」と頭をよぎった。

 農家として生きていこう、と考えた松尾さんは、インターネットで農業の求人を探す毎日を送っていた。なるべく早く独立して、自分で販売する仕事をしたい、と考えていた松尾さん。「メジャーな作物だと、地域の組合や農協へ出荷しないといけなくなるかもしれない。マイナーな作物にしよう」と考えた。

 「今、思えばメジャー作物でも直販は出来るのですが、それほど何も知らない状態だったんですよ」と笑う。
 検索結果が上位に来るものは、メジャー作物ばかり。検索結果が低いものをじっくり探すという方法で検索を続けた。たまたま見つかったのが、能登栗農家の求人だった。

 「栗園で3ヶ月間の研修!研修後は、独立して栗園を引き継いでくれる方募集」
 「栗園をただでもらえるの?3ヶ月で独立出来るなんて、最高の条件だ!」と栗園に連絡した。
 「すぐに来て欲しい」と話しがまとまり、松尾さんは能登へ向かった。能登に着くと、「まさか、人が来るとは、思わなかったよ」と驚いた様に言われた。

 募集の経緯はこうだ。
 栗農家さんが、高齢(当時89歳)で引退するが、後継者はおらず、周りの農家からも、「自分自身もいつまでやれるかわからないので、引き取れない」と言われ、放棄地にされそうになっていた。そこで、HPを持っていた農家さんが、「うちのHPに一応募集を出してみよう」と出されたものだった。

 3ヶ月後に独立なんて条件じゃ、誰もこないだろう、と思われていたところへ、松尾さんからの連絡だ。農家さん自身が一番驚いた。
 3ヶ月間の研修はあっという間に終わり、松尾さんは約束通り栗園を引き継いで独立した。しかし、そこで気が付いた。夏から収穫までの3ヶ月しか研修を受けていない松尾さんは、草刈り・収穫・選果しか経験しておらず、栽培方法が全く分からないということに。


本を頼りに進めた農作業



 選定や育苗、施肥など全く分からないどこか、そもそも1年間の作業工程すら分からない。研修先の農家さんは、栗がメインの作物ではなく、他の野作業で非常に忙しい人だった。
 これ以上迷惑をかけられない、と思った松尾さんは、栗に関する本を何冊も購入して、栗農家として歩み始めた。
 本に書いてあることを信じて、作業を行なう。しかし、出てくる名詞が分からない。
 「この枝を残すのか、こっちの枝を残すのか」、どちらのことか分からず、首をかしげながら、作業を進めていた。

 それまでの貯金を切り崩しながらの生活を送っていたが、ふと、これで本当に食べていけるのだろうか、と思い、近隣の農家さんに聞いてみると、ほぼ全ての栗農家が、農協に出荷していることが分かった。その買取価格に衝撃を受けた。400円/kgだという。松尾さんが引き継いだ栗園1.5haの収穫量は500kg。つまり、売上げは20万にしかならいことを知った。

 「農協出荷では生活できないとは思っていましたが、想像以上でした。この先どうなるのだろう。と不安な気持ちが押し寄せてきました」。生活費を稼がなくては、と近くのコンビニで夜間アルバイトをすぐに始めた。夜8時から朝5時まで、アルバイトを行い、日中は栗畑、という毎日が始まった。

 栗を高く売る方法を考えなくては、なんのために農家になったのか、分からない。有機栽培での栗作りの方法などを聞いて回ったが、「栗はほっておいても育つんだから」と言われ、なす術もなく家に帰った。
 これには、能登で栗栽培が始まった経緯が原因だった。能登栗は、手間をかけずに農家の手取りを増やす方策として、昭和40年代後半に生産が始まったものだった。つまり、いかに手間をかけずに生産するか、が重要であり、誰も高く売ろうと考えていなかったのだ。

 自分自身でなんとかしなければ、と松尾さんはセミナーなどにも積極的に参加した。そのセミナーの一つに「農家がHPを持って、消費者に直接呼びかけよう」というものがあった。
 松尾さんは、すぐに自分のHP作りに取りかかった。独学ながら、なんとか完成させた。このHP開設が、松尾さんに転機を呼び込むことになる。


焼き栗製造販売会社「くりはち」さんとの出会い



 就農して初めて迎える春、HPを見た、という会社から一通の問い合わせが届いた。
 「東京で、焼き栗の製造・販売を行なっている“くりはち”というものですが、能登栗というものを初めて知りました。一度お会い出来ませんか」。
 能登を訪れたくりはちさん。話しは、もちろん生栗の仕入れだ。
 くりはちさんが提示した金額は農協の倍の800円/kgだった。ありがたい、と松尾さんは感じた。

 しかし、話しを進めていくうちに、くりはちさんは唐突に「松尾さん、焼き栗を自分でやりませんか?」という。
 松尾さんが、呆気にとられていると、「私たちは、長く付き合える農家さんとしか取引をしていません。農家さんが潰れてしまったら、私たちも潰れてしまいます。松尾さんとはこれからも長い付き合いをしていきたいと思っています。そのためには、800円で栗を買い取っても、松尾さんは生活が出来ません。私たちの技術を教えますから、松尾さん自身で焼き栗を作って販売してみませんか?能登の朝市で販売すれば、きっと売れますよ。そのかわり、立派な栗農家になったら、こちらにも栗を卸して下さい」。
 松尾さんの焼き栗農家としての道はここからスタートした。


「ムダなことは、なにもない」



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 くりはちさんとの出会いをきっかけに、いろいろな事が動き始めた。
 春のうちから、輪島朝市組合や地元の大型スーパーに「秋になったら、実演販売させて欲しい」と営業に回った。スーパー2軒は、「面白そうだね」と快諾してくれた。売り先が出来た事に手応えを感じていた松尾さんは、「なんとかなるかもしれない」と輪島朝市組合に向かった。事務所に入ると、当時の専務理事の方に「申請書類を書いて押印しといて。でも出店希望者が多くてね、新しい人が入るのは難しいんだ」と言われた。松尾さんは、申請書を書いて押印しようとしたときに、印鑑を車に忘れた事に気が付き、印鑑を取りに車に戻った。「厳しそうだな」と思いながら事務所に戻ると事態は一変していた。

 「松尾くんは素晴らしい若者だ!君みたいな若い力が朝市にも必要だ。応援するよ!」と専務理事の態度が明らかに変わっていたのだ。
 その理由は、松尾さんが持ち込んだ新聞の切り抜きだった。その新聞には、松尾さんの生い立ちから、栗園になるまでの経緯が書かれていた。
 松尾さんは、ご両親の借金と3人の弟の学費支払いのために、20歳で建築職人に転職、以後4年間、自身の生活費を切り詰め、実家への仕送りを続けたことも書かれていた。

 専務理事は、情にもろく、熱い人だった。「専務理事の後押しがあって、出店出来る事になったんですよ。人生にムダなことはないな、と思いました」と当時を振り返る。
 輪島での朝市での販売を認められた松尾さんは、栗園の栽培に力を入れた。しかし、選定で失敗し、1年目の収穫では、収穫量が減少。初めての焼き栗も、虫害果や甘味が足りないものが混じり、多くのクレームも受けた。

 しかし、その度にもっと美味しいものを作ろう、と決心し、これまでやってきた。
 「多くの栗園さんや土壌診断グループの視察で勉強して、試した技術は本当にたくさんあります。全部がうまくいった訳ではありません。失敗を繰り返しながら、少しずつ上手く出来る様になって来ただけかもしれません。それでも諦めなかったのは、お客さんの存在でした」と松尾さんは笑顔で語ってくれた。

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 松尾さん自慢の焼き栗は、輪島の朝市やインターネットでも販売しています。詳しくは、松尾栗園のHPをご覧下さい。

(平成26.10.15 産直コペルvol.8より)
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