全国の地域おこしの先進事例が満載 ―産直コペルより―
農家を訪ねて vol.6 福島の今を伝え、人と人をつなぐ
福島県二本松市東和地区で、福島の現状を知ってもらおうと、農業体験や農家巡りツアーを行なっている「きぼうのたねカンパニー株式会社」代表の菅野瑞穂さん(26)。菅野さんは、2010年に東京の大学を卒業後、両親が営む農園に就農し、米や野菜、イチゴの有機栽培に取り組んでいる。
2013年3月7日にきぼうのたねカンパニーを設立。2013年は、全国から250名の参加者が体験プログラムに参加した。
自身も有機農業を続けながら、多くの人に福島の現状を伝え続ける菅野さんに話しを聞いた。
体験を通して伝えたい 福島の今
「福島に足を運んでもらい、福島の現状を知ってもらいたい。メディアやネットから流れてくる情報を見たり、聞いたりするだけでなく、福島で暮らしている人たちの声を聞いてもらいたい」と菅野瑞穂さんは話す。
菅野さんが代表を務める「きぼうのたねカンパニー」は、県内外の人が福島の農家と話しながら農業を体験する「人と自然をつなぐ体験プログラム」を開催している。
春は、苗の種まきやイチゴの収穫体験、初夏には田植えや田の草とり、夏になると夏野菜の収穫や近隣の農家巡り、秋には稲刈り、冬は餅つき――と1年間を通して様々な体験プログラムを行ってきた。毎回、「福島の現状を知りたい」と東京を中心に全国から参加者が集まっている。
体験プログラムでは、農業体験の他にも福島の農家の思いを感じてもらえるようなワークショップを取り入れている。
例えば、農場でガイガーカウンターで放射線量を計測し、数値についての説明を行うのもそのひとつだ。外は何μSv(マイクロシーベルト)で、ハウス内は何μSv、という具合に場所や環境によって線量が異なることを実際に感じてもらっている。
野菜の収穫体験にも工夫を加えている。普通の収穫の他に、放射線検査用の野菜1kgを収穫してもらうのだ。1キログラムという重さを皆に実感してもらうためだ。葉物やイチゴで1キログラムにしようと思うと、結構な量になる。
「原発事故後、毎年全ての畑と農産物でこの作業を行っています。聞いた事があるようなことでも、自分の手で収穫して、持ってみるとその重みが伝わる」と菅野さんは言う。
「私は、来て下さった人たちが考えるキッカケになるような〝 場 〟を提供する事しかできません。このプログラムを通して、何かを感じ取ってもらい、考える材料にして欲しい」と話す。
参加者の言葉が嬉しくて
1年間体験プログラムを続けてきたが、菅野さんが特に印象に残っているのは、昨年の田植えだという。起業してから初の田植え。どれくらいの人が来てくれるか心配だった。
蓋を開けてみれば、北は北海道から、南は熊本、福岡まで様々な地域から定員いっぱいの24名が福島へ足を運んでくれた。
強い意志を持って参加している人が多かった。「福島のために何か出来ないか、と考えながら、何をすればいいか分からなかった」という参加者の言葉がありがたかった。
「福島のことを知りたがっている人がたくさんいる。多くの人に福島の今を伝えていきたい、と強く感じました」と菅野さん。
震災後の福島を訪れたことがない人の中には、未だに「怖い、暗い」というイメージを持っている人がいる。しかし、実際に来てみると、東和の人はみんな明るくて、前向きだ。そのギャップに驚く参加者も少なくない。
「イメージではない本当の福島の姿を見て欲しい」と訴える。
県内へも農家の思い 届けたい
菅野さんはこれまで、県外への情報発信に力を入れてきた。しかし、「今年は、県内へ向けた情報発信にも力を入れていく」という。
福島県内のあるアンケート調査では、震災から3年以上が経過した今でも、「県内産の野菜を購入しない」という人が多いという結果が出た。
「検査でセシウムが検出されていないと分かっていても、怖い、というイメージが先行して、県内産を買わないのかもしれません」。こうした状況の中、福島の農家がどういう思いで、栽培し、安全面への対策・努力をしっかりとしているか、ということを伝えることが今年の目標だ。
「遠くからやってくる野菜よりも、地域で生産されたものの方が、新鮮で美味しいということを知ってもらいたい」と話す。
外に出て気づいた東和の魅力
菅野さんが「福島で農業をやる」、と決めたのは、大学4年のときだった。
福島の高校を卒業後、東京の体育大学へ進学。東京で暮らす中で、地元を客観的に見られる様になってきた。そのときに、東和地区の風景の素晴らしさや食べ物の美味しさに気がついた。農を軸に地域の魅力をもっと発信したい、という思いが次第に大きくなった。両親が営む農業生産を単に継ぐのではなく、「地域と都会をつなぐ」ための農業をしたいと思った。
大学の先輩たちからは反対する声もあった。「せっかく体育大学にきたのに。農業はもっと後でもいいんじゃないか」、「3年くらい企業で働いてからのほうがいいんじゃない」。
様々な意見を言う人はいたが、菅野さんは、「自分が信じる道を進む」と農家になることを決断した。
だが、福島へ戻ることへの苦悩もあったという。大学からはじめたセパタクローで、日本代表にまで上り詰めた菅野さん。セパタクローが続けられない、ということが最大のネックだった。
悩み抜いた結果、福島でチームを作って続けようと考えた。「やりたいことはあきらめない、ピンチはチャンスと捉え直しました」と笑う。
原発事故も地域の力で乗り越える
菅野さんが就農して1年が経とうとしていた3月11日、東日本大震災が発生。翌12日に福島第一原発が爆発した。
菅野さんが暮らす二本松市は福島第一原発から約 50 kmの場所にあった。「これからどうなるのだろう。情報がない中で、とても不安でした」と当時を振り返る。二本松市は避難地域に指定されなかったが、菅野さんは今後どうなるか分からないからと、3月下旬から10日間程東京の知人のところへ避難した。
避難しているときの方が、不思議なくらい気持ちが落ち着いた。福島では、度々起こる余震や放射能への心配で暮らしていくだけで、疲労した。食料やガソリンを買うのも一苦労だ。「日常生活が恋しかった」と話す。
避難先で菅野さんは、これからのことを考えていた。福島へ戻り農業を続けるのか。それとも別の地へ移住して農業をするのか。農業そのものを辞めてしまうのか…。気持ちの整理がつかず、まるでモヤの中にいるようだった。
そんなときに、テレビを見ていると南相馬から避難している人のインタビューが流れてきた。その人は、「家も家族も仕事も失い、放射能により土地まで奪われて、これからどうするか何も決まっていない」と話していた。
「私は、その人と同じ福島の人なのだけれど、家も家族もあって、土地もある。あきらめるのは、まだ早い。東和のために、福島のために出来る事をやろう!」と菅野さんは福島に戻る事を決意した。
ほどなくして福島へ戻ったが、この先、農業が出来るのかどうかも分からず、不安な日々は続いていた。
そうした状況の中でも、東和地区の人たちは既に前を向き、農業を再開させるための活動を始めていた。地形や条件による汚染の度合いを把握するために、新潟大学農学部と連携して、東和地区すべての田んぼの空間線量を測定して独自の放射線マップを作っていたのだ。「どうなるか分からない」、ではなく、「どうすれば自分たちの土地を守れるのか」、という視点で地域の人たちは行動していた。
4月中旬になると、国から作付けの許可がおりた。菅野さんたちも栽培の準備を開始した。
しかし、栽培を進めていく中でも、気持ちは常に揺れ動いていた。「栽培したものからセシウムが検出されたらどうしよう…」、「これは、誰かに食べてもらえるものなのだろうか…」。
「自分はなんのために作っているの?」と悩んだ。
そんなときにも、常に背中を押してくれたのは、地域の人たちや応援してくれる人たちだった。「応援してくれる人たちのためにも頑張ろう。そして、この現状を多くの人に伝えていこう」と菅野さんも前を向いた。
「東和じゃなかったら、避難していたかもしれません。東和やこの地域の人たちを誇りに思います。この地域で生まれ育って、本当に良かった」と笑顔で話す。
東和で雇用を生み出すために
菅野さんの今後の目標は、この大好きな東和地区で雇用を生み出すことだ。
「ツーリズムは、今の時期だからこそ、大事だと思っています。放射能のことも、今だから、伝える価値がある。5年前だったら、放射能の話しをしても耳を傾けてくれる人は少なかったと思います。時期によって、必要なことは変わってくる。現在の取組みを生かしながら、5年後、10年後に東和地区に雇用を作るのが夢」と力強く語る。
東和の魅力を誰よりも感じている菅野さんだからこそ、多くの人が東和で働いている姿をイメージする。
その将来のビジョンに向けて、菅野さんは農家を中心に異業種の若者が集まるグループ「やさいのラボ」を2012年7月に結成した。野菜の勉強会をしたり、交流会を開いたりし、地域を様々な視点から考えている。
「福島に行ってみたい、と思われるプログラムづくりや、この地域のよいところを発信して、東和地区全体で農業を盛り上げ、地域経済を活発にしていきたい。そして、東和の美味しいものや自然、文化を伝え、 何度も足を運んでもらえる場所づくりを目指したい」と菅野さんは未来を見据える。
菅野さんのきぼうは、まだまだ地域を巻き込みながら広がっていきそうだ。
お問い合わせ先
きぼうのたねカンパニー株式会社
住所〒964-0111
福島県二本松市 太田字布沢282
HP:http://kibounotane.jp/
(平成26.6.10 産直コペルvol.6より)