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製造業のまち「豊田市」が 取り組む新規就農支援の形
自動者産業の街として世界的に有名な豊田市で、新規就農を核としたネットワーク作りが進んでいる。
定年退職者を農業の新たな担い手として育成すると同時に新規就農による遊休農地の活用を目的に「豊田市農ライフ創生センター(以下農ライフ)」が2004年に創設され、今年で10年が過ぎた。
豊田市とあいち豊田農業協同組合が運営主体。財政面を豊田市、技術面・資源面を農業協同組合が支えている。
農ライフの主な事業は、
(1) 研修事業 (農作物栽培技術研修)
(2) 農地仲介事業
(3) 農家仲介事業
(4) 研究開発事業 の4つだ。
この(1)研修事業が定年退職者を対象にした就農支援の取り組みの柱だ。研修生は農業の基礎と実践を2年間の研修の中でじっくりと学ぶ。修了生は368人。この内の約80%以上が何らかの形で就農しており、非常に高い実績を誇っている。
また、創設当初は予測していなかった若い世代(20代〜40代)も約30%程参加しており、研修は活気に満ちている。
日本では現在、社会の高齢化が進んでおり、毎年約40万人が定年を迎えている。こうした人材が農業に参加することで、遊休農地の利活用や中山間地農業の活性化に繋げていく事も重要な課題だ。10年前から先進的に新規就農支援を行っている同センターに話を聞いた。
就農支援の柱は、技術指導
農ライフ創生センターの事業の柱である農作物栽培技術研修。この研修には大きく分けて3つのコースがある。
初級向けの「旬の野菜づくりコース」。中・上級向けには「担い手づくりコース」と「農地活用帰農コース」がある。初級コースは、一般の人に農に触れてもらうことを目的に春夏と秋冬の年2回開催しており、計60名程の人が参加している。
実際に就農したい人向けの「担い手づくりコース」は座学と実践を2年間かけてしっかり学ぶ。年間の研修日数は約50日。更にこれとは別に作物の栽培管理も当番制で行なわれており、真剣に就農を考えている人でなければ続けるのも大変だ。
座学の講師は、農業改良普及員OBなどが担当し、実技指導は、プロの農家が作物ごとに講師を務めている。
農ライフ創生センターの近藤広道所長は「本センターは、あらゆる人を対象に農に触れてもらう機会を作っています。農に触れてもらい農業を知ってもらう事で、関心を持ってもらいたい。そして新規就農に繋がって欲しい」と話す。
多くの新規就農者を輩出「担い手づくりコース」
担い手づくりコースには、「新規就農科」、「地産地食科」、「山間営農科」という3つの科がある。
新規就農科では、1年目に農業の基礎全般を学び、2年目になると産直野菜、水田利活、フルーツという3つの中から専門コースを専攻する。
地産地食科では、産直・直売施設での販売を目指して少量多品目の生産体系を、山間営農科では、山間地域での営農を想定した野菜・作物作りを学ぶ。同科は下山研修所(和合町)と旭研究所(旭八幡町)の2つの研修所に別れて実習を行なっている。それぞれ地域にあった農産物の栽培を学ぶ事が出来る。和合町では、小菊の生産が盛んな事から、小菊の栽培講習にも力を入れている。
以上の3つのコースの中からそれぞれが目指す農業の形に合わせて研修することが出来る。これまでの10年間で368人が修了した。この内の8割以上が就農している。
農地斡旋で就農をサポート
8割以上もの人が就農に直結しているのには訳がある。農ライフの事業の一つでもある農地仲介事業による農地の斡旋だ。
担い手作りコースの修了生の中で希望者には、豊田市内の農地10アール以上の斡旋が受けられる。「希望の場所や条件に100%合った場所というのは難しいですが、なるべく条件の良い土地を斡旋出来る様に頑張っています」と近藤所長。
農地を持たない人が新しく農地を借りるには、農業者等で構成される各自治体の農業委員会からの許可が必要だ。しかし、この許可を貰うのは簡単なことではない。
数年間の農業経験や一定面積(自治体によって異なる)を取得しなければ農家として認められないため、実はハードルが非常に高い。地域によっては、よそ者は受け入れないという土地柄や風土が今でも色濃くあり、新規就農を目指す人が土地を借りることが出来ず、就農を断念せざる得ないケースも少なくない。
そこで、農ライフ創生センターではセンターが身元引受人となり、農地を斡旋するという独自のシステムを作っている。
他の各自治体にも新規就農の支援窓口はあるが、農地の斡旋までしてくれる、というところは殆どない。これには、理由がある。農地を斡旋する以上、その農地への責任が紹介先にも問われてしまうためだ。地主から「新規就農者が雑草を伸び放題にしている。何とかしてほしい」といった苦情が来る事もある。そのため自治体も簡単には紹介出来ないのだ。
「修了生の就農後もこうした苦情があれば、地主さんのもとに対応に走る事もたまにはあります」と近藤さん。「手間のかかることだ」と強調する。それでも、ここまでして斡旋するのは、「やはり、そこまでやらなければ本当の就農支援にならないし、遊休農地の活用にも繋がらない」という考えからだ。
斡旋する農地は、市が運営する農地バンクを活用したり、農ライフの職員が空いている畑を見つけて、地主と直接交渉することもある。
農地斡旋が受けられる事で、豊田市外からも受講希望者が集まってきた。市外からの参加者は新規就農を希望している若い人が多い。農業を始めたいのに親も知り合いも非農家という人とっては、「農地の取得」は共通の悩み。
そのため、名古屋市などから豊田市に通い、修了後に斡旋を受けて豊田市で就農するという20代、30代の人もいる。
この取り組みによって、合計40ヘクタールを超える農地を斡旋してきた。その多くが遊休農地だ。
農地具購入のハードルを超える
農ライフが修了生に行なっている支援は他にもある。「農機具貸付制度」だ。農地を斡旋しても、農業機械なしで農業を行なうのは大変だ。しかし、リタイア世代が新規就農するために、いきなりトラクタやコンバインなど全て揃えるというのはとてもハードルが高い。年間100万円程度の収入を目指す人に「数百万円の機械を買って農業を始めて下さい」というのは難しい。リースでも一日数万円は掛かってしまう。そうした金額の面でのモチベーションの低下を防ぐために始まったのがこの貸付制度。
トラクタなどの大型農機具は1日1万2千円、耕耘機や田植機といった中型農機具は1日4千円、小型農機具は2千円で借りる事が出来る。更に大型の機械に関しては、農ライフの職員が畑まで運んでくれるというから驚きだ。
農ライフの実習で使っていないときに限るという制限はあるが、就農したばかりの人にとっては非常にありがたい就農支援だ。
「貸付制度をこの程度の金額で行なっているところは聞いた事がない。こうした制度があることで、リタイア世代の人が定着してくれていると感じている」と近藤さんは独自のシステムに胸を張る。
農ライフを視察に来る自治体などからは、「ここまで手厚くやるのはどうなのか」という疑問が投げかけられる事もあるという。しかし、農機具のハードルを超えてもらう事で、「農地をより有効に活用してもらい、生きがいに繋がるなら、そちらの方が重要だと考えています」と近藤さんは話す。
また、支援農家の紹介も行なっており、研修を修了した後も、農家のもとで研修することも出来る。
地域との繋がりを強固に「農ライフの会」
農ライフの修了生は、「豊田農ライフの会」というものを組織しており、現在は200名を超える修了生が参加している。
同会には、産直部会や給食部会などがあり、地域との繋がりを強めている。産直部会は、豊田スタジアムの駐車場で開催されているファーマーズマーケットやJAあいち豊田産直プラザの朝市への出店を行なっている。
給食部会では、「未来を担う子ども達に新鮮で美味しいものを食べてもらいたい」という思いから南部と北部の給食センターへ新鮮な農産物を届けている。「子ども達が食べやすいように」と、苦くない品種のピーマンの栽培講習会の開催なども行なっている。
こうした取り組みを継続することで、農ライフ修了生と地域の繋がりが強くなり、地元産の農産物を大切にする意識の向上にも期待している。
近藤さんは「農業による生きがい作りだけでなく、研修生同士の情報交換や作った農産物を通して地域の人たちと繋がる事で、よりやりがいや生きがいを感じてもらいたい。また、農と市民の新たな関係を構築していくことも農ライフの重要な役割だと考えています」と力強く語る。
農ライフ創生センター立ち上げ
トヨタ自動者の工場が豊田市(前挙母町)に誘致されたのは、1938年のことだ。そして、1960年代以降の高度経済成長期には、日本全国から自動者産業に就業するために多くの若者が豊田市に流入してきた。こうして豊田市の人口は飛躍的に伸び、若者の街となった。それから40年が経過し2000年代に入ると、当時移住してきた人たちがちょうど定年を迎えるようになった。
これに伴い浮上してきたのが、退職後の生きがい創出の課題だ。
そこで、この農ライフ創生センターの創設計画が立ち上がった。しかし、最大の問題は農地法だった。当時豊田市では、40アール以上の農地を持たないと農家と認められず、土地を借りる事が出来なかった。これでは、リタイア就農した人がいきなり40アールという広い土地で農業を始めなければならない。
これでは新規就農を支援するのは難しいと判断し、国に農地の下限緩和要望を2002年に提出。しかし、このときは通らなかった。2003年度に愛知県と豊田市の共同で特区申請を行なった。このときも最初は難しいという判断が下されたが、「遊休農地の活用と高齢者の生きがい作り」という内容に興味をもたれ、採択された。これによって農地の下限面積が10アールに引き下げられた。
「かなり難しい問題がいくつもあったが、当時の鈴木公平市長の強いバックアップがあったから進める事が出来たんだと思います。鈴木市長の強い思いで実現した部分もありますね」と近藤さんは話す。
2012年に任期に伴い退任されてからは、ご自身も農業をはじめ「農ライフの会」の顧問として積極的に活動を行なっている。
農ライフ10周年を超えて
農ライフが創設され、10年が経つ。1期生は皆、10年歳をとった。
「今後は、年齢で辞めてしまう人も出てくると思います。全体の人数の上昇は難しくなってくる。しかし、農ライフが果たしているのは就農の支援だけではないと思っています。研修生自体が研修や就農を通じて、農業の大変さを実感している。それによって、食べ物に対する価値観が変わってきています。こうした考えた方が周りの人に波及していく事で、地元野菜の値段に対する理解も得られると思います。外国産の方が安いかもしれない。ですが、地元で頑張って作っているものを買う、という人が増えて欲しい。形が少し悪くてもいいから地元のものを食べるという風になってもらえたら」と近藤さんは未来への希望を語る。
農ライフの取り組みは、新規就農希望者と技術、農地をつなぐ成功例として各地から視察が訪れており、少しずつこうした取り組みの輪は広がってきている。2013年度には豊田市の隣、みよし市でも同様の取り組みが始まっている。
就農の入口から出口までをしっかりとサポートすることで、着実に新規就農者は増加し、それぞれが農地をしっかりと守っている。
こうした取り組みが全国に広がり、リタイア世代と若手世代がそれぞれ就農しやすい環境を作る事で、遊休農地の活用や地域農業の活性化に繋がっていくだろう。
(平成26.3.15 産直コペルvol.4より)