地元、信州の農・食・暮らしを発信 ―さんちょく新聞より―
おやきのルーツ〝灰焼きおやき〟をつくる生坂村「かあさん家(ち)」を訪ねました
「灰焼きおやき」は、囲炉裏があったからこそ生まれた食文化です。囲炉裏のある家が減った現代、生活様式の変化をことさらに受け、各家庭の味だった灰焼きおやきも今では非常に珍しい存在になってしまいました。
その灰焼きおやきを作り続けているのが、生坂村の「かあさん家(ち)」。生坂村産の農産物やそれらを使った加工品の販売などを行う直売所です。20代から80代のお母さんたちが地域の味を受け継ぎながら働いています。生坂村の暮らしや、おやきにまつわる思い出話などもお聞きしました。
「粉もの」の食文化
長野市西山地域と安曇野市や池田町などの北安曇地域と隣接した長野県西部の村、生坂村は、信濃川水系の一級河川犀川沿いに集落が並ぶ農村地帯です。周囲を山々に囲まれている生坂村では、昔から「粉もの」の食文化が発達してきました。そのひとつが「灰焼きおやき」です。
「生坂は粉ものをよく食べる地域でした。ここから出た人が懐かしがって『発送して欲しい』と言われることもあります」と教えてくれたのは、「かあさん家」の店長、中曽根真紀さん(46)。生坂村出身の中曽根さんは、小さな頃に友達の家にあった囲炉裏をよく覚えているといいます。「実家に囲炉裏はなかったのですが、友達の家でおやきやお餅を囲炉裏で焼いていたのを覚えています」と話します。
手慣れた手つきで具が詰められていく
野菜をたっぷり詰めて じっくりと焼く
売場のすぐ脇にある加工所で、実際に灰焼きおやきを作る様子を見学させてもらいました。ベテランと若手のお母さんたちが、協力し合いながら具材を詰めていきます。
この日、作っていたのは「なす」と「野菜ミックス」。まず、生坂村産の地粉をベースにした生地を手に取り、丸く伸ばします。そこに味噌(この味噌も生坂村産大豆を使った手作り味噌とのこと)を塗り、下ごしらえした生の野菜をぎっしりと詰めます。そして、手の中で具材を包み込みながら、空いているところにさらに具を詰め、真ん丸に成形していきます。するすると手慣れた手つきであっという間に真ん丸になっていくのですが、店長の中曽根さん曰く「均等に具を入れるのにもコツがあって、おばさま方の手を見ながらその技を盗みつつやっています。まだ修行中なので(笑)」とのこと。日々培われた、熟練の技が必要なのだといいます。
丸く成形したおやきを鉄板の上に乗せて焦げ目をつけた後、灰の中に入れます。鉄板で最初に焼くのは、そうしないと灰の中で転がした時に生地と灰がくっついてしまうため。この焼きにも絶妙な塩梅があるそうです。昔は囲炉裏に吊した「ほうろく」などで焼いたといいます。
約200度の灰の中である程度火を通した後は、トングでくるくると回しながら全体にじっくりと火を通し、蒸し焼きのようにしていきます。この焼き具合の見極めも長年の経験あってこそ。そうして約40分間、厚めの皮と中の野菜にじっくり火を通していくと、しっかりと噛みごたえのある生地と野菜の旨味が凝縮された、拳大ほどの大きさの「灰焼きおやき」が完成しました。周囲はかたくごつごつとしていますが、割って、立ちのぼる湯気と一緒にかじりつくと野菜と味噌のやさしい旨みと、どっしりとした地粉の素朴なおいしさが、じんわりお腹を満たしてくれます。
若いお母さんもベテランさんと一緒に
夜は必ず「粉もの」だった
ベテランの作り手さんと話していると、こんな話を聞かせてくれました。「山の上の方は田んぼが無くて、夜は必ず粉ものだったよ。(灰焼き)おやきもそのひとつ。お父さん(旦那さん)が小さな頃は、朝もおやきを食べて、学校で食べるお昼にもおやきを持って行ったらしいね。でも学校へ行く山道を登っている間にお腹が空くから途中で食べちゃって、お昼には食べるものが無かったみたい」。昭和15年生まれの生坂村出身の旦那さんから聞いた、おやきにまつわる思い出話なのだといいます。ご自身が灰焼きおやきを作り始めたのはお嫁に来てからのこと。「当時は食べるものも少なかったけど、もともと粉ものが好きだったからね。よく作ったよ」と笑いながら教えてくれました。おやきを通して、この土地に息づく記憶が少しずつ蘇っていくようでした。
ふと、出来たての灰焼きおやきを頬張りながら、作り手の皆さんに声をかけたお客さんがいました。
「かあさん家の味がするね。このすぐ近くの生まれだから」
「そりゃ、これで育ったんだわ。おいしいでしょう」
そんな会話が聞こえてきました。
灰焼きの様子。くるくるとトングで回しながら全体に火を通す
灰は村内で協力して作る
灰焼きおやきを「かあさん家」で作り始めたのは、15年程前。ここを立ち上げた地域のお母さんたちが、地域の味を守り伝えていこうと始めたものでした。灰は森林整備の間伐材や最近増えてきた薪ストーブの灰など、村内の皆さんと協力して作っています。
「若いスタッフも、ここで教わることが多いみたいです。継承しなければならないことは多いですから」と店長の中曽根さんは話します。
「いつまでもこの地で受け継がれていって欲しい」
そんな願いを込めながら、今日も「灰焼きおやき」は作り続けられています。