地元、信州の農・食・暮らしを発信 ―さんちょく新聞より―

おこひるの〝甘い〟思い出

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 御嶽山のふもと、木曽町三岳地区は、かつて稲作と養蚕が盛んな地域だった。―というより、1年の収入を「田にかけている」といっても過言ではないほど、周囲を山々に囲まれた農村地帯では、稲作は農家の暮らしを左右するものだった。だからこそ、田植えは特に1年の豊作を願う大切な日でもあったのだとか。「田植えの日は特別だった」と、多くの人が口をそろえる。
 そんな日の「おこひる(三岳地区はおこびれ)」も、やはり特別なもの。今回、その「おこひる」の様子を聞こうと、三岳地区で農産加工所「三岳グルメ工房」を営む西尾礼子さん(76)のもとを訪れた。実際に、田の畔に「おこひる」を用意してもらいながら、グルメ工房のスタッフの人達と共に、かつての〝甘い〟思い出を聞いた。


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 三岳地区の田にも、水が入り始めた5月中旬。畔にビニールシートを敷いて、昔ながらの黒豆ご飯のおむすびや草餅、大福などを持ち寄った。
 「昔の田植えは今より遅かったから、6月10日頃が最盛期だったかな。1年のうちのとても大事な行事だったよ」と西尾さん。
 西尾さんがまだ小さかった頃は、田植えといえばお祭り騒ぎで、親戚中集まり、15、6人で田植えを行ったという。
 「全て手植えでやるから大変だったけど、お祭り騒ぎで楽しくもあったなぁ。道具もあまり無かった時代は、大人も子どもも皆総出の作業だったから、とにかくにぎやかだったよ」と笑いながら話してくれた。
 昭和20年代頃は、女性は絣(かすり)の着物を着て、赤いたすきをし、裸足で田に入ったという。 かつて、苗運びなどは男性、田植えは主に女性の役割だったという地域が多く、苗を植える女性のことを「早乙女」といい、田の神様に豊作を祈る役目を担った。「田植え」は農家にとって、重要なハレの日だったのだ。


「おこひる」に出た、甘いごちそう



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 そんな日の一番の楽しみといえば、「おこひる」の甘いものだったとか。特別なハレの日である田植えのときは、おはぎや朴葉巻など甘いものを皆に振る舞ったという。
 「田植えはごちそうが出るから嬉しかった」としみじみと話してくれた。農作業の苦労も忘れられるほど、田植えの〝ごちそう〟があれば、皆、精が出た。
 そんな昔話をしていると、「でも、昔はいろいろなものが今みたいな大きさじゃなくて、お腹にたまるように作るから、すごく大きくて。砂糖もあまり使ってなかったと思うよ」と、今と昔のそんな違いも教えてくれた。しかし、農作業をした後の甘いものは格別だったのだろう。「それでも、おいしかったよね」と笑い合う。砂糖が貴重だった時代、お祭り騒ぎの賑やかな田の畔で食べた 〝甘い〟思い出は、色褪せることがない。
 甘いもののほかにも、「ニシンとフキの煮物」や「タケノコの煮物」、「ミツバのおひたし」など、野にあるものを工夫して調理した料理がおこひるに並んだ。縁起の良い「黒豆ご飯のおむすび」も、豊作を願って田植えが始まる日に、田に引く水の取口に供えられた。
 今ではそうしたにぎやかな田植えを見ることはないが、農家の暮らしの中で育まれた食文化は、今でも西尾さんたちが受け継いでいる。
 三岳グルメ工房で作る、朴葉巻やおはぎ、草餅や大福といった加工品の数々は、そうした土地の記憶が原点にあるのだろう。そんなことを思いながら、地域の直売所をのぞいてみると、また新しい発見があるかもしれない。

(平成28.6.8 産直新聞第93号より)