全国の地域おこしの先進事例が満載 ―産直コペルより―

農家を訪ねてvol.19  この道を歩き続けて

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かあちゃん農業



 「山の中でびっくりされましたでしょう」。そう言って朗らかな笑顔で迎えてくれた井上さん。山に面した自宅の周りは田畑に囲まれ、雨の降る中、カエルたちが元気に鳴いていた。
 「この家へ嫁ぐ前には、もう少し町部の方にいたんだけどね」と、かつてこの家に嫁いできた頃のことについて話し始めた。井上さんがこの地へやって来たのは、今から50年以上前、20歳の時だという。大変だったのは、その明くる年のことだ。ここへやって来た翌年の昭和38年冬、記録的な豪雪被害がこの地を襲った(三八豪雪と呼ばれる、全国的な豪雪被害)。そして、その翌年には災害救助法が適用されるほどの集中豪雨により、この地域は大きな被害を受けたという。
 「災害がくると、農業収入が入らないでしょう。だからこの自然災害をきっかけにして農業以外の職を求める男性が増えてね、『かあちゃん農業』という言葉がはやったの」
 『かあちゃん農業』とは、現金収入を手にするため外に職を求めるようになった夫にかわり、農村の女性たちが中心となって農業を担ったことを表す言葉だそうだ。
 「田車を引くのもすべて女性の仕事になって、それは大変でしたよ」。実感をこめて話す。当時の栽培面積は田んぼが70a、畑が10aほど。山あいのこの地域では、耕作面積の多い方だったそうだ。


農家の女性の思いを背負って



 「ところがね、重労働をして働いても、農家の主婦にはお金が1円もなかったの。だけん実家へ戻って封筒に少しずつお小遣いをもらう女性もいたくらい」
 今から50年以上も前の話だ。現在のように直売所がたくさんあり、誰でも気軽に野菜を販売できる環境はなかった。
 「でもね、せめて自分たちが作る野菜の種代だけでもあればなあと思っていたんです。自分が好きな種を買えるよう、作った野菜を売ってやりくりしたい。収入を持ちたいというのが、夢っていうのかな、農家の女性の思いでした」。当時をそう述懐する。 
 そのころ、農協が井上さん含む農家の主婦を集め、野菜を売りに行くための10人程度のグループを作ったそうだ。
 加わったメンバーの中で最も若かったという理由で、井上さんは自動車免許を取得した。そして、自ら購入したトラックを運転し、メンバーの野菜を集めて町まで売りに行ったという。
 「プライドがありましたから、恥ずかしかったですよ。『川上自治会の者ですが、野菜いりませんか』。これだけの言葉がどうしても言えなくってね…」、こうも続けた。「それでも、『私は皆の荷物を集めてきたのだから、積んだ野菜は売って帰らないけんぞ』という責任感を背負ってね、頑張って売りましたよ」。語る言葉に力がこもる。
 そうして井上さんらが必死で売った野菜の代金は、グループの女性に分配され、わずかながらも大切な収入源となった。
 「当時のことでしょう、売れても5円10円の話よ。それでもね、自分が作った野菜がお金になったという、その喜びはなんとも言えないものでしたよ。夜に、1円玉を数えながら、生き甲斐みたいなものを感じましたね」。当時を懐かしむ微笑みに、その時代を生きた女性たちの心からの喜びが伝わってくる。


青空市から直売所設立へ



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 そのうちに、農協の店舗の庭で青空市をやろうという話が持ち上がったという。昭和60年代のことだ。農協からテントを借り、毎日自分たちでコンパネを出し入れしながら女性たちが自ら野菜を売った。
 「男性は、私たちがやる産直活動になんて重きを置いちょらんかったでしょう。あくまで、女性が細々とやるものでした。でも、女性が自ら売る、というのは私たちの自信や自立にもつながって、とってもよかったんですよ」
 活動を続けるうちに、地域からの理解も広がり、多少の小遣いも入るようになったという。
 「対面販売だからね、お客さんの要望を聞いて作物を作ったり、予約を受けたりしてね。それが今の産直の『原点』なの」。そう誇らしげに話してくれた。
 ここでの青空市の活動は後の「木次とれたて市場」という独立店舗(現在はAコープ内へ移転)の設立へとつながる。井上さんは設立から現在に至るまで、木次とれたて市場の会長を務めている。
 「今の時代は、男性がびっくりするくらい熱心に産直に力を入れてくれるようになりました。男性に、産直の良さを理解してもらえるようになったんですね」と、嬉しそうに話した。



この道をずっと歩き続けて



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 井上さんの栽培方針は、一貫して「無理せず作る」だ。化学農薬や化学肥料は使わず、「収益よりも、人に喜んでもらえるものを作って出したいという気持ちが先にある」のだと話してくれた。年を重ね、現在は出荷量も減り、作った農産物は地域の人々と物々交換でやりとりすることも増えた。
 「農業があって、人とのつながりも生まれて、心も物も豊かに恵まれた暮らしができるんです」。そう言って農業への感謝を口にする。
 昨年病気をしたため、視力が落ちてしまい、機械を扱うのは困難になったという井上さん。それでも、「鍬を持って畑を耕し、少しずつ作業を進め、種をまくところまでできた時には『ああ今年もできたな』と、感動でしたよ」。顔いっぱいに笑顔を浮かべ、畑を案内してくれた。
 日当たりは悪く、条件の良い場所と比べたら収量も半分に満たないかもしれないという井上さんの畑。「けどね、ここだからこそとれるものもあるし、これが私の〝定め〟なんだと、今ではそう思うんです。『ここで生き甲斐を見つけなさい。地域の為に頑張りなさい』って、そんな導きだったのかなって思っています。『農』だけのために生まれた、と言ったら大げさだけど、この道をずっと歩いていろんな時代を超えて…仲間と一緒に産直の基礎を築きなさいという運命にあったのだと。だから、満足しています」。そう言って深くほほ笑んだ。


(産直コペルvol.19掲載「農家を訪ねて」より)

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